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大阪地方裁判所 昭和58年(人)4号 判決

請求者

山水甲子

右代理人

高藤敏秋

鈴木康隆

坂田宗彦

拘束者

山水乙夫

山水丙郎

山水丁子

右三名代理人

山西健司

酒井隆明

被拘束者

山水ハナ

右代理人

池田勝之

(大阪地裁昭五八(人)第四号、人身保護請求事件、昭58.8.20第七民事部判決、棄却・確定)

主文

一  請求者の請求を棄却する。

二  被拘束者を拘束者に引渡す。

三  手続費用は請求者の負担とする。

事実《省略》

理由

一請求者と乙夫は昭和五四年五月三日婚姻した夫婦であり、両名の間に昭和五五年三月八日長女ハナ(被拘束者)が出生したこと、乙夫及び同人の父丙郎、母丁子の三名が同五八年六月一八日以降共同してハナを監護していることは当事者間に争いがないところ、右事実によれば、ハナは三歳五か月の幼児であつて意思能力のないことが明らかであり、意思能力のない幼児を監護するときには、当然幼児に対する身体の自由を制限する行為が伴うものであるから、ハナに対する拘束者らの監護自体を人身保護法及び同規則にいわゆる拘束と解するのが相当であり、このことは、右監護の方法の当、不当または愛情にもとづくかどうかとは、かかわりのないことである(最高裁判所昭和四三年七月四日判決、民集二二巻七号一四四一頁)。

二そこで、拘束者らのハナに対する拘束が違法なものであるか否かについて判断するに、そもそも夫婦の一方が他方に対し人身保護法にもとづきその共同親権に服する幼児の引渡を請求する場合には、子を拘束する夫婦の一方が法律上監護権を有することのみを理由としてその請求を排斥すべきものではなく、子に対する現在の拘束状態が実質的に不当であるか否かをも考慮して、その請求の許否を決すべきもので、右拘束状態の当、不当を決するについては、夫婦のいずれに監護せしめるのが子の幸福に適するかを主眼として定めるのが相当である(前記最高裁判所判決)から、以下において、本件拘束に至る事情、当事者双方の監護能力等について検討することとする。

1  乙夫が小川マサ子との間に昭和五六年八月男児をもうけたことが原因で、請求者が昭和五八年四、五月頃からハナを連れて拘束者ら方を出て山本方に居住するようになつたこと、請求者が乙夫を相手方として大阪家庭裁判所に離婚とハナの親権者を請求者と定める旨の調停を申立てたこと、右調停手続が進行中の同年六月一八日に乙夫が請求者の手元からハナを連れ戻したことは、いずれも当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、次の事実が一応認められる。

(一)  本件拘束に至る事情

乙夫の不貞行為が昭和五八年四月中旬請求者に発覚したことから、この問題と小川マサ子が出産した男児の認知等をめぐつて、同月二九日乙夫方において、双方の本人及び親族が集まつて協議をしたが、右の問題についての明確な結論は出ず、離婚するか否か、あるいはハナの監護をどうするかという点についての話合いもされなかつた。その席上、同席した請求者の兄内本一男から請求者とハナを一日預からせてもらいたい旨の申出があり、請求者側の身内で善後策を協議するため、請求者とハナがとりあえず請求者の姉山本キミ方に身を寄せることとなり、乙夫側で請求者らを最寄りの駅まで自動車で送つた。

翌三〇日午後七時半頃、今度は拘束者ら三名が自動車で山本方に請求者とハナを迎えに行つたところ、請求者は、兄の一男と更に相談したいと考えて帰ることを拒み、ハナについても帰さないとの意向を示したが、丙郎が、ハナを抱かせてほしいと言つて請求者からハナを抱きとり、乙夫に渡し、乙夫においてハナを自動車に乗せたうえ、山本キミらの制止を無視してハナを連れ帰つてしまつた。

このため、請求者、山本夫婦、内本克典夫婦(請求者の兄夫婦)と内本一男の六名が同日午後一〇時半頃乙夫方に赴き、拘束者らの右行為をなじつてハナの返還を求めて深夜まで帰ろうとせず、これより先ハナと医院に出かけていた丙郎と丁子が請求者らの来訪を知つて近所の家に避けていたものの、やむなく翌五月一日の午前二時頃乙夫方に戻つたところ、同家の二階に上つた丁子に背負われていたハナを山本キミらにおいて抱きとり、再び山本方に連れ戻した(その模様は、興奮した丁子がハナと死ぬ旨口走つたり、驚いたハナが泣きだすなど、穏当なものではなかつたようである)。

請求者は乙夫の不貞を知つたことから、その頃懐胎していた第二子の出産意欲を失い、中絶する旨の意向を乙夫に伝え、一方これに対して乙夫側は不貞を詫びるとともに、第二子の出産と請求者及びハナの帰宅を懇請したが、請求者の決意は固く、結局同月七日中絶の措置がなされた。また、離婚調停の第一回の調停期日は同年六月一四日に開かれ(この事実は争いがない)、その席上調停委員から乙夫に対し、ハナの監護を請求者に任せてはどうかとの勧めがなされたが、乙夫がこれを応諾せず、同年七月一日に続行されることになつた(なお、この調停は、本件手続途中の同年八月二日不調となつた)。

ところが、同年六月一八日午前一〇時半頃、請求者が自転車の後部にハナを乗せて大阪市生野区内を進行していたところ、突然乙夫がその前方に現われ、請求者が拒否しているにもかかわらず、ハナを抱き、「動物園に連れて行く」と言つて同女を連れ去り、以後現在まで拘束者らにおいてハナを監護している。

なお、右同日午後一〇時頃、山本夫婦、内本克典夫婦と請求者が乙夫宅に赴き、ハナの返還を求めたが、喧噪に及んだため警察官が臨場する事態となり、その際の警察官の助言により、ハナ自身に決めさせることとしたところ、ハナが拘束者ら宅に残る意向を示したので、請求者らはハナを連れ戻すことを断念して山本宅に引きあげた。

(二)  ハナの生育及び監護の状況

ハナは、前記のとおり請求者とともに山本宅で生活した期間を除いて拘束者ら宅で生育してきたが、これまで大きな病気もなく、健康明朗で可愛い女の子に育つており、このため、請求者及び拘束者ら双方のハナに寄せる愛情もまた共に強いものがあり、それぞれ自己の側でハナを育てたい旨の希望をもつている。

請求者と拘束者らが同居していた頃についてみると、ハナの出産に際し勤め先を退職し、育児に専念する請求者とパートの仕事に出る丁子との間で家事の分担など諸々の点でそれぞれ不満に思うことがあつたようで、ハナのことについても、誰が風呂に入れるか、食事、間食の与え方などのことで、互いに不満を持ち、請求者は、丙郎と丁子がハナを甘やかせすぎ、母親である請求者の考えを無視して勝手に世話をやきすぎるとの気持を抱いていたのに対し、拘束者らは、そもそも請求者が母親としての責任を果していなかつたと不満を述べ、ここでそのいずれを責めるべきかは判断しがたいものの、少なくともハナ自身は大事に育てられ、特に不自由な思いをしたことはなかつたようである(なお、山本宅での生活及び本件拘束後の拘束者ら宅での生活について、請求者と拘束者らは互いに非難しているが、特に一方の生活を否とするほどの事情は見い出せない。ただ、ハナが拘束者らないし住みなれた拘束者ら宅に愛着していることは事実であり、ハナの国選代理人が昭和五八年七月一八日にハナと話をした際にも、ハナは右趣旨の発言をしている)。

(三)  請求者側の事情

請求者は、父内本竹吉(七六歳)、母内本トミエ(六八歳)の二女として昭和二六年四月一五日生まれた五人兄弟の末子である。両親は広島県豊田郡○○○町に在住し、大阪市港区内で溶接業を営む兄内本克典(三九歳)の援助や社会保険等で生活しており、姉山本キミ(四五歳)は大阪市生野区内に居住し、夫次男がハンドバッグ縫製業を営み、高校二年と小学校五年の子供をもち、家は借家である。また、前記○○○町に居住する兄内本三郎(四二歳)と愛媛県今治市に居住する兄内本一男(三五歳)はいずれも溶接業を営んでいる。

請求者は、勤務当時に覚えたミシン縫製の技術(四本針、三本針、オーバーロック、本縫い、ラッパミシンなど)をもつているが、現在は仕事をしていない。本件が解決し、ハナを監護することになつた場合には、兄一男を頼つて今治市に行き、家を借り、ハナの面倒を見ながら家庭内でできるミシン仕事をする希望を持つており、その場合には兄姉のみならず、今治市に一時間程度で来ることのできる両親の援助も期待できる。

請求者は、責任感が強く、明朗で行動力に富むが、その反面やや勝気であり、優柔な性格で両親の意向に異を説えることの少ない乙夫に不満を抱くとともに、平素の生活やハナの育て方などをめぐつて丙郎、丁子との間でも心にうつ積するものがあつたところ、乙夫の不貞が三年位前のことで子供までできていたのに、これを隠しとおしてきた乙夫に裏切られたことを知り、これまでの拘束者らに対する不満も手伝つて一層不信の念を募らせた結果、離婚の決意を固めるに至つた。このような事情から、請求者はハナを拘束者らに任せられないとの気持が強く、自分の手元でハナを育てたいとの強い希望と決意を有している。

(四)  拘束者ら側の事情

乙夫は、父丙郎(五一歳)、母丁子(五六歳)の二男として昭和二八年一〇月二八日生まれ、三人の妹はそれぞれ嫁ぎ、長男も死亡しているため、事実上の跡とりとして現住所において父母と同居し、アングル工業株式会社の製造主任として勤務し、月収手取り一五万円位を得ている。

丙郎は、最近タクシーの運転手をやて、現在知人のもとで員の加工などを手伝つているが、特にいうほどの収入はない。昭和五三年に慢性肝炎が悪化して入院したことがあるが、その年のうちに退院し、現在では通院もしておらず、日常生活に支障はない。丁子は、ハナの世話をするためパートの仕事をやめ、現在は無職である。拘束者ら宅は、丙郎が一八五〇万円で購入したもので、内金一五〇〇万円について借入をなし、現在毎月八万円ずつ(六月と一二月は各三〇万円余り)の返済を続けている。一階は六畳二間と八畳の台所、二階が六畳二間と7.5畳である。

今後拘束者らの側でハナを監護することになつた場合には、丁子が中心となつてハナの世話をし、丙郎と乙夫がこれに協力して、拘束者らにおいてハナの監護にあたる決意でいるが、乙夫が請求者と離婚した後再婚することや小川マサ子から子供の認知と養育料の請求がなされる可能性も無視できず、当面の監護環境に格別問題視すべき事情は見当らないとしても、将来的なものとしてみた場合に若干の不安が残ることは否めない(ハナのために独身で通す旨の乙夫の供述は直ちに信を措くことはできないし、子の問題について小川マサ子との間で一応の解決をみているとしても、これが何らの保証にもならないことはいうまでもない)。

以上の事実が一応認められ、他にこれを左右するに足りる疎明は存しない。

2 以上に認定した事実関係によれば、請求者及び拘束者らのいずれもが、父母あるいは祖父母としてのハナに対する愛情に欠けるところはなく、双方ともハナの幸福を願い、同女を監護する強い希望を有しているものと認められる。そして、拘束者らの側には、経済的基盤が必ずしも十分といえないことや、将来乙夫の再婚あるいは小川マサ子からの子の認知ないし養育料の請求といつた事態が予想されないではなく、これらがハナに与える影響も無視できないなどの事情はあるものの、拘束者ら方はハナが生まれ育つた場所でハナ自身なじんでいるうえ、同女と拘束者らとの関係も良好であるのに対し、請求者の側は、今後の経済的な自活能力、両親、兄姉の援助、生活環境などの点において一応の見通しを立てているとはいえ、その実現に若干の不安がないではなく、ハナの生活環境に著しい変化をきたすことは否めない。更に、本件拘束開始の状況とて、これに至る諸事情を考慮すると、本件拘束のみを一方的に非難しうべきものでもなく、その余の監護環境等の面でこと更その良否を見い出し得ないことからすると、現時点におして請求者の側でハナを監護することが拘束者らの側で同女を監護するのに比べて同女の幸福に合致すると速断することはできず、いずれにおいてハナを監護すべきかについては、今後予想される離婚訴訟における親権者指定に際し、その時点の諸事情を踏まえた慎重な判断のもとに決せられるべきもので、拘束者らのする監護をもつてハナの幸福に合致しない不当なものであるということはできない。

3 してみると、本件における拘束者らによる被拘束者ハナの監護状況をもつて、人身保護規則四条に定める拘束が違法になされていることが顕著な場合にあたると認めることはできない。

三よつて、本件請求は理由がないので棄却することとし、人身保護法一六条一項によつて被拘束者を拘束者らに引渡し、手続費用の負担につき同法一七条、同規則四六条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(青木敏行 宮岡章 梅山光法)

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